神戸地方裁判所 昭和49年(ワ)555号 判決 1980年5月29日
原告
早川早
外一名
右原告ら両名訴訟代理人
松隈忠
被告
日本赤十字社
右代表者
東竜太郎
右訴訟代理人
田原潔
右訴訟復代理人
大搗幸男
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 原告ら
1 被告は原告早川早に対し、金八〇九万八四二七円及び内金六七九万八四二七円に対する昭和四九年七月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告は原告早川しげのに対し、金六五四万八四二七円及びこれに対する昭和四九年七月二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は被告の負担とする。<以下、事実省略>
理由
一当事者間に争いのない事実について
原告らの長女亡早川和子(当時一二才)が昭和四八年一〇月八日被告の経営にかかる神戸市須磨区妙法寺管之池六八四番地一号所在の須磨赤十字病院に来院して受診し、その後通院を続けていたが、発熱が持続して下降しないので、同月二九日同病院に入院した事実、及び医師である神田勤が被告の被用者として須磨赤十字病院に勤務し、和子の入院以来同人の主治医として治療にあたつていたが、和子は同年一一月一一日午後二時ころ同病院で死亡した事実はいずれも当事者間に争いがない。
二和子の症状及びその経過について
<証拠>を総合すると、次の1ないし10の各事実を認めることができ、<証拠判断略>。
1 和子は昭和四八年九月二八日三九度位の熱を発して悪寒、頻尿を覚え、近隣の前田医院で腎盂腎炎の診断を受け、ドミアン(サルファ剤)を服用していたが、その後の経過が思わしくないので、同年一〇月八日前記一認定のとおり被告の経営にかかる須磨赤十字病院に来院して受診し、それ以来同病院に通院を続け、同月二九日同病院に入院した。
2 入院当時の症状は、三八度位の発熱と頭痛とがあるのみで、そのほかには格別変つた所見も認められなかつたので、主治医である神田医師は発熱原因を究明することとし、特に腎盂腎炎の疑いがあつたので、他の感染症にも留意しつつ、その診断を確定するため、検血、検尿等の一般細菌検査のほか、腎盂造影をして腎障害の程度を調べるほか、動脈血培養を施行した。
3 同月三〇日の尿検査の結果では、一F中に白血球の数が三、四個と正常であつたのに、その翌三一日には一六ないし一八個と増加していたため、神田医師は、腎盂腎炎等の尿路感染症に対する前記疑いの度をさらに強め、翌一一月一日以降セファメジンを投与した。
4 同月五日に至つても、三八度前後の発熱と頭痛が続き、かつ血清ナトリウムが低下しているのにかかわらず、尿中ナトリウムが依然として高く電解質に異常があるため、神田医師は或いはシェワルツ・バーター症候群ではないかとも考え、同日改めて発熱原因を洗い直すため、再び検血、検尿等の一般細菌の検査、腹部レントゲン検査、血沈検査を施行したが、これによつても特段の結果を得ることはできなかつた。
5 同月七日心音に収縮性雑音が聞えるので、神田医師は或いは細菌性の心内膜炎ではないかとも考え、動脈血の培養検査をしたが、この点でも格別の異常はなく、また各種検査の結果では白血球の増加はなく、血沈は、同年一〇月三〇日には一時間値二七ミリメートル、二時間値五一ミリメートルであつたのが、同年一一月七日には一時間値五ミリメートル、二時間値一〇ミリメートルと低減して正常値となり、炎症所見が認められないので、同日現在ではいまだ和子の病名を診断するには至らず、結局和子の発熱を不明熱として取扱つた。
6 同月八日神田医師は、和子の発熱、頭痛と、前記のように血液及び尿の化学的検査結果からみて電解質異常があることとから髄膜炎ではないかと疑い、同日午後二時に腰椎穿刺を施行して髄液を採取したところ、髄液は水様透明、クヴェッケン・シュテットは陰性であつたが、初圧が二六〇ミリメートル水柱と異常に高かつたため髄膜炎と診断した。その治療としては、たまたま前日の同月七日から、これまで投与していたセファメジンの効果が思わしくないので、さらに強力な化学療法として、一日三回のゲンタシン四〇ミリグラムずつの筋注と、一日二回のS4ナリンコシン一二〇〇グラムずつの投与とを施していたため、同月八日右のとおり髄膜炎と診断した後も、髄膜炎の治療として、これに有効なゲンタシン及びS4ナリンコシンの投与を続けた。
7 神田医師及び鈴木副院長は、同月九日髄液に、結核性と思わせる特徴的所見があつたため、これと、その他の所見等から、和子の病名を結核性髄膜炎と推定診断した(時間的に、髄液中に結核菌のあることを証明することができないため、確定的に結核性髄膜炎と診断することはできなかつた)。そして、鈴木副院長は同日和子の家人に対して右診断の結果を伝え、神田医師は従前投与していたゲンタシンに代え、抗結核剤であるストレプトマイシンを投与した。
8 和子は同月八日の夜間も38.9度位の発熱をし、浅眠中再三譫言を言つており、翌九日午前六時ゲンタシン四〇ミリグラムの筋注を受けたが、それより三〇分経過後の午前六時三〇分及び六〇分経過後の午前七時のいずれの時点においても譫言をいう外に格別の著変はなく、また痙攣、血圧低下等のショック症状もなかつた。次いで、和子は同日午前八時四〇分二五パーセントメチロン一ミリリットルの筋注を受けたところ、それより一〇分経過後の同八時五〇分発汗多量、全身性痙攣を起し意識不明の状態に陥つた。担当看護婦の斉藤次子は、直ちにエアウェイを挿入するとともに、当直医である山田是久の指示に従つて同午前九時に一〇パーセントのフェノバール一アンプルを施注した。山田是久医師は同午前九時一五分に来診したが、依然として痙攣を起しているため、直ちに一〇パーセントフェノバール一アンプルを施注し、次で同午前九時二〇分に二五パーセントメチロン二ミリリットル、二〇パーセント葡萄糖二〇ミリリットルを静注したところ、和子の痙攣はやや緩和し、平静となつて入眠し、同一〇時の血圧は最大一三〇、最小八〇であつて、正常値を示していた。和子はその後痙攣を起し、同一一時四〇分には軽度の後頸部硬直が認められた。神田医師は同日午後二再び腰椎穿刺を施行し髄液を採取したところ、その髄液は、やや黄色で塵芥様浮遊物があり、クヴェッケンシュテットは疑陽性で、初圧が二二〇ミリメートル水柱であつた。和子の痙攣は同日午後三時には治つて安静のうちに経過し、同日午後七時当直の伊集院医師が来診したところ、その症状は半開眼となり、意識はやや回復が認められ、和子の名前を呼ぶとそれに対する応答はないが、声の方に向つて眼を動かしてうなずき直ちに眠りに傾く状態であつた。同日午後一〇時三〇分全身痙攣が起きたため、当直の鵜飼医師が来診したところ、意識は依然昏迷状態であつたが、その意識レベルは早朝に比べて回復していることが認められた。
9 同月一〇日午前六時には時折比較的大きなうめき声を発していたとはいえ、呼吸状態は規則的で格別の変化はなかつたが、同六時五分突然呼吸が停止したため、直ちに当直の鵜飼医師が来診して同六時一〇分にマウスツーマウス法による人工呼吸を、同六時四五分に気管内挿管を、同七時にベネットという呼吸器による人工呼吸をそれぞれなし(もつとも、右ベネットは始動時の約一五分間のみ些か不調であつた)、同七時現在の症状は、対光反射はなく、体温は下降して35.9度となり、顔面蒼白となつた。
10 翌一一日午前八時三〇分より同九時までの間及び同日午前一一時四五分より同日午後一時一五分までの間ベネットが故障し、その間和子は、マウスツーマウス法とか麻酔器による人工呼吸とかを受けたが、その後心停止、心室細動不静脈を繰り返して結局同二時二三分死亡した。
三原告らは、和子の死亡は、同年一一月九日神田医師がゲンタシンとメチロンとを施注したことによるショック死であると主張するので判断する。
1 ゲンタシン施注によるショック死であるか否かについて
(一) <証拠>によると、ゲンタシン注射液は一アンプル中に硫酸ゲンタマイシン四〇ミリグラム(力価)等を含有し、その作用は、殺菌性の抗生物質として、感受性細菌の正常な蛋白合成を特異的に阻止することにより、細菌の成長を阻害する効果を有し、緑膿菌及び変形菌による敗血症、腎盂腎炎等の尿路感染症等に適応するものであり、その副作用としては、内耳神経、頭痛、肝・腎障碍を生じる場合があるので、これを使用するに際して注意すべき事項を定めているが、一般にショック症状を起すことのない安全な薬剤として取扱われ、ゲンタシンによりショック症状を起した事例はいまだ一例も報告されていないことが認められる。
(二) そして、<証拠>によると、薬剤ショックというのは即時型アレルギーに属するものであつて、これには、(イ)、急激な血圧低下から意識障碍に至るアナフィラキシー性ショックと、(ロ)、気道狭窄症状を示す喘息様発作との二種類があり、右(イ)、(ロ)のいずれのショックについても、通常薬剤投与後数分ないし三〇分以内に症状が現われ、その場合直ちに気道確保、人工呼吸、心臓マッサージ等の救急措置を講じない限り、そのまま苦悶して意識不明の状態に陥つて死亡することが認められる。
(三) ところで、前記二、8認定の事実によれば、和子は同年一一月九日午前六時にゲンタシン四〇ミリグラムの筋注を受けたところ、それより三〇分経過後の午前六時三〇分及び六〇分経過後の午前七時のいずれの時点においても譫言をいう以外に格別の著変はなく(なお右譫言は、同月八日の夜から浅眠中に再三言つていたものである)、痙攣、血圧低下等のショック症状も認められなかったことが明らかであるから、和子の死亡が原告ら主張のようにゲンタシンの施注によるショック死であるということはできない。
2 メチロン施注によるショック死であるか否かについて
(一) <証拠>によると、メチロン注射液は解熱、鎮痛剤として一般に用いられているスルピリンであり、その二五パーセント注射液は、一ミリリットル中にスルピリン二五〇ミリグラムを含有し、インフルエンザ、感冒、肺炎、結核性熱等の熱性疾患に適応するか、使用上の注意事項として、
(イ) ピラゾロン系薬剤に対して過敏症である者、蕁麻疹、気管支喘息等のアレルギー症状の既往歴を有する者及びアレルギー体質を有する者、重篤な肝・腎障害を有する者には、投与しないのを原則とするが、投与を必要とする場合には、これを慎重にすること
(ロ) 投与することにより、まれに肝・腎の障害等が現われることがあるので、投与後十分に観察し、右のような症状が現われた場合には投与を中止すること
(ハ) 投与することにより、まれに血圧降下、顔面蒼白、脈搏の異常、呼吸抑制等の症状が現われることがあるので、この場合にも投与を中止すること等の定めのあることが認められる。
(二) そして、前記二、8認定の事実によれば、和子は同年一一月九日午前八時四〇分二五パーセントメチロン一ミリリットルの筋注(以下本件筋注という。)を受けたところ、それより一〇分経過後の同日午前八時五〇分発汗多量、全身性痙攣を起して意識不明の状態に陥つたことが明らかである。
(三) 和子は右のとおりメチロンの本件筋注を受けるや、その一〇分後に全身性痙攣を起して意識不明の状態に陥るなどショック症状を呈しているかのようであるが、和子に対するメチロンの注射は、本件筋注の一度だけでなく、そのほかにも数回次のとおりメチロンの注射を受けているものである。即ち、<証拠>を総合すると、和子は、(イ)、同月一日午後三時に38.2度の発熱を起していたため、二五パーセントのメチロン二ミリリットルの筋注を受けたところ、同日午後七時には右発熱が36.1度に下降し、(ロ)、同月二日午後三時三五分に38.2度の発熱を起していたため、二五パーセントのメチロン一ミリリットルの筋注を受けたところ、その夕刻には右発熱が三六度に下降し、(ハ)、同月五日午前七時に38.2度の発熱を起していたため、二五パーセントのメチロン一ミリリットルの筋注を受けたところ、同日午前八時三〇分には右発熱が35.9度に下降したこと、以上のとおり和子は、本件メチロンの筋注を受ける以前において三回その発熱時にメチロンの各筋注を受けたが、その際いずれもメチロンによるショック症状はなかつたことがそれぞれ認められる。
さらに、前記二、8認定のとおり本件筋注より四〇分経過後の同月九日午前九時二〇分に二五パーセントのメチロン二ミリリットルの静注を受けたところ、和子の痙攣はやや緩和し平静となつて入眠したことが明らかである。
また、前記二、8認定の事実に、<証拠>を総合すると、和子の同月九日午前一〇時現在(本件筋注より一時間二〇分後で、前記の九時二〇分の静注より四〇分後)の症状は、体温が三八度、脈搏が一一六、血圧が最高一三〇、最低八〇であることが認められるから、本件筋注後、和子の血圧は下降しないで正常値を示していたことが明らかである。
なお、同日午後七時当直の伊集院医師が来診したところ、その症状は、半開眼となり、意識はやや回復が認められ、和子の名前を呼ぶと応答はないが、声の方に向つて眼を動かしてうなずき、直ちに眠りに傾く状態であり、同日午後一〇時三〇分全身性痙攣が起きたため、当直の鵜飼医師が来診したところ、意識は依然昏迷状態であつたが、その意識レベルは早朝に比べて回復していたことは前記二、8で認定したとおりである。
(四) (イ)、薬剤ショックは、前記三、1、(二)で認定説示したとおり、通常薬剤投与後数分ないし三〇分以内に症状が現われるものであつて、その場合直ちに気道確保、人工呼吸、心臓マッサージ等の救急措置を講じない限り、そのまま苦悶して意識不明の状態に陥り死亡するに至るものとされている事実に、(ロ)、前記三、2、(三)認定のとおり和子は本件筋注以外に数回メチロンの注射を受けたが、その際にはなんらのショック症状がなく、また本件筋注後メチロンの注射により痙攣等の症状が緩和した場合もある事実を合わせ考えると、前記三、2、(二)認定のとおり和子が本件筋注の一〇分後に全身性痙攣を起して意識不明の状態に陥るなどの症状を呈していたとしても、右症状は、メチロンの本件筋注により生じたものであるとは認めがたく、したがつて、和子が本件筋注の翌々日である同月一一日に原告ら主張のように本件筋注を原因としてショック死したものであるということはできない。かえつて前記二及び三、2、(三)認定の事実に、証人神田勤の証言を総合すると、和子は細核性髄膜炎に罹患していたため、同月九日には右髄膜炎の症状として全身性痙攣を起して意識不明の状態に陥り、その翌々日の同月一一日に死亡するに至つたものと認めるのが相当である。
四原告らは、神田医師において和子の結核性髄膜炎を早期に発見してこれに対する適切な治療をなすべき義務の履行を怠つた責がある旨主張するので判断する。
1 <証拠>を総合すると、結核性髄膜炎は亜急性髄膜炎の一種として分類され、その症状は頭痛、嘔吐、発熱、頸部硬直、ケルニッヒ症状、反射異常、意識障害等の神経症状等であり、これを確定的に診断するには、髄液の沈査の塗抹染色等の方法で結核菌を証明することを要するが、髄液の症状が特徴的であるため、これと脳圧の上昇その他の所見とから結核性髄膜炎であると推定的に診断しうることが認められる。
2 和子の症状の経緯は前記二認定のとおりであり、右認定事実によると、神田医師は、和子の病因を究明するため種々の検査を実施してきたが、同月八日頭痛発熱が依然として続き、かつ血清ナトリウムが低下しているのにかかわらず、尿中ナトリウムが依然として高く電解質に異常があるため、或いは髄膜炎ではないかと疑つて同日午後二時腰椎穿刺を施行して髄液を採取したところ、髄液の初圧は二六〇ミリメートルと異常に高かつたため、これと、その他の所見とから髄膜炎と確定的に診断し、神田医師及び鈴木副院長は翌九日髄液の特徴的所見等から和子の病名を結核性髄膜炎と推定的に診断したことが明らかである。
3 ところで、前記二認定の事実に、証人神田勤の証言を総合すると、同月八日午後二時現在においては、いまだ髄膜炎に通常みられる神経症状とが、頸部硬直とかの症状がなく、神経症状は同月八日夜間から始まり、また頸部硬直は、軽度なものであるが、同月九日午前一一時四〇分に始めて現われたものであることが認められる。
右のとおり神田医師が腰椎穿刺を施行した同月八日午後二時現在においては、いまだ頭痛発熱の症状があつたのみで、他に神経症状、頸部硬直等の髄膜炎に特有な症状はなかつたのであるから、このような時期において、腰椎穿刺を施行し髄膜炎と診断した神田医師の措置については、原告ら主張のような義務の履行を怠つた責があるものということはできない。
4 前記二認定の事実に、証人神田勤の証言を総合すると、神田医師は、同月八日髄膜炎と診断後その治療としてゲンタマイシン及びS4ナリンコシンの、翌九日結核性髄膜炎と診断後その治療としてストレプトマイシンの各投与等をしていることが認められるから、右診断後の治療についても、原告ら主張のような責があるものということはできない。<以下、省略>
(西内辰樹)